上手くいかないからこそ楽しいんだと思う
お久しぶりです!
どうも、ぱりゅりゅです。
社会人生活が始まって1ヶ月が経ちましたが、まあ思い通りにいかないことばかりで、試行錯誤の日々が続いています。
しかし、上手くいかなくても1日が終わる頃には「楽しかったなぁ」と思え、嫌な気持ちにならないどころか前向きな気持ちで翌朝の出勤ができています。
もしかしたら負け惜しみなのかもしれませんが、上手くいってばかりの人生って絶対飽きると思うんですよね。
思い通りにならずに悔しくて、そして努力を重ねるからこそ通過点にいるときは充実していますし、目標に到達できたときの達成感は言葉では表現し切れません。
「上手くいかなかったなぁ」と思ってあれこれ考えているなかで、ふと「人生楽しめているなぁ」と思いながら過ごしていこうと思います。
定期投稿終了のお知らせ
どうも、ぱりゅりゅです。
いつも「ぱりゅりゅのブログ」を読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
今回の内容はタイトルにもある通り、毎週日曜日の夜に更新してきたペースでの投稿が終了となります。
理由としましては、4月から社会人となり、これまでと比べ自由な時間が減ることや新たな環境においての心身の負担などを考慮したためです。
きっと皆さんはペースなど気にしなくていいと言ってくださると思いますが、性格上このように報告させていただいた方が安心するということもあり、今回のお知らせとなりました。
これまでこんな素人の自己満足を読んでくださり、本当にありがとうございました。
そして、これからは不定期となりますが、時間や心に余裕があるとき、猛烈に書きたいと思う内容が浮かんだときなどに投稿させていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
では次のブログで!
ぱりゅりゅ
誕生日
どうも、ぱりゅりゅです。
大人になると歳をとるのが嫌だなと感じる方も多いと思いますが、何歳になっても「誕生日」だけは他の日とはいくらか違った1日に感じます。
これは少し前の話になりますが、僕は「お誕生日おめでとう」という言葉に違和感を持っていました。
別に何もしなくても時間が経てば1年に1回「誕生日」がやって来るからです。
でもよく考えてみれば、1年間生きられて歳を重ねることができたという事実は素晴らしいことなのだと感じるようになりました。
「お誕生日おめでとう」という言葉を素直に受け入れ、そして自らを労い認めるような1日にできたら、それだけで最高な誕生日になると思います。
また、自分の誕生日は1年に1回しかありませんが、見方を変えれば他の日も誰かの誕生日なわけです。
毎日誰かの誕生日を祝えるような人脈と記憶力に少し憧れたりもしますが、それはなかなか難しいと思うので、大切なあの人の誕生日には心から祝い感謝する。
そんな大人になれたらと思います。
やめるのも凄いことだと思うんだ
どうも、ぱりゅりゅです。
皆さんは何かを「やめる」という決断をしたことがありますでしょうか。
僕は昔から「やめる」という決断になかなか踏み込めないタイプで、先月で終了となったアルバイトもやめようか迷ったことは何度かありましたが、けっきょく学校を卒業するタイミングまで続けました。
アルバイトはお金のためというよりも自分の成長のために始めましたし、何より楽しかったので、結果論にはなりますがやめなくて良かったと思っています。
しかし、仮にやめていたとしても「やめて良かった」と思えるものを見つけていたでしょうし、もしかしたら今よりももっと素晴らしい何かを手に入れていたのかもしれません。
前置きが少し長くなってしまいましたが、何を言いたいのかというと、継続することが「善」でやめることが「悪」だというような風潮を感じますが、そうは思わないということです。
心に嘘をつきながら続けるのは、継続することで得られるはずのものも得られなくなってしまいますし、やめたからこそ分かることもあると思うからです。
「継続は力なり」という言葉もありますが、「やめる勇気」というのも時には必要だと考えていますので、前向きなやめるという行為も人生の選択肢の中に入れられるようになればと思います。
4年間で身についたこと
どうも、ぱりゅりゅです。
今回は、大学生活を終えたばかりの今だからこそ良かったと思えることを綴っておこうと思います。
いつもより長くなると思いますが、皆さんの何かに役立つことがあれば幸いです。
さて本題ですが、まずこの4年間はこれまでの人生で1番頑張れた時間だったなと感じています。
大学生は「人生の夏休み」とも言われるほど「楽」だとか「遊べる」といったイメージもあるかもしれませんが、それはあくまで高校時代に勉強や部活動を頑張った人が体験できるものだと考えています。
そう、僕は高校生のとき頑張らなかったのです。
成績は下から数えた方が早かったですし、部活も中途半端といった感じでした。
勉強は、小・中学とそこそこできる方で、周りから「頭良いよね」と言われることも多くありました。
部活は、小学生の頃からクラブチームに入りずっと同じスポーツを続けていたこともあり、まずまずの結果を残せていました。
しかし、高校に入ってあまり結果が出せなくなりました。特に勉強面が…。
これまで「頭良い」などと言われてきたことへのプライドが捨てきれず、「本気を出していないからだ」と自分に言い聞かせるように勉強から逃げ続け、高校を卒業する頃には絵に描いたような落ちこぼれが出来上がっていました。
当然、第一志望の学校には合格することができず今の大学に入学することになったのですが、それが転機でした。
地元から少し離れていたため、周りには過去の自分を知る人がいないという環境に身を置くことになったからです。
そこでようやく「この4年間がラストチャンスだ」という気持ちになり、変なプライドは捨てて1から頑張ろうと決心することができました。
これまでは何事にも消極的で、大学に入ったばかりの頃はサークルや学生団体などには入らなくていいかなと思っていました。
しかし、授業以外にも学び・交流の場があった方が良いと思い、学校で1番大きな団体に所属することに。
自分たちの代になったときには、自ら立候補してグループの代表を務めました。
また、有り難いことに両親からは大学の勉強に集中してほしいと言ってもらっていたのですが、この自由に使える時間で更に成長しなければと感じ、周りに何も言わずにアルバイトを始めることに。
黙っておくのは良くないと思いすぐに両親に報告し、すごく驚かれたのは今となってはいい思い出です笑。
そのアルバイトは卒業まで続け、学校だけでは学ぶことのできないものをたくさん吸収させてもらいました。
その他にもボランティア活動や学校からの依頼など、来るもの拒まずといった精神で頼まれたことはほぼ全て引き受けていました。
そんな4年間を過ごすなかで、自分よりも遥かに人生経験の豊富な大人の方々や純粋な心を持った地域の子供たちから肯定的な意見を数多くいただいたことで、これまでは持つことができなかった自信を手に入れることができました。
自分の実力を過信してしまうのは良くないですが、ある程度自信を持っておくことも大切だと思うので、この4年間で身につけたことを胸に4月からの新たな道を堂々と歩んでいきたいと考えています。
僕のように1度沈んでしまったとしても、再び輝くことができる。
それが人生の良いところ・楽しいところでもあると思うので、今ちょうど沈んでしまっているタイミングの人に、少しでも力になれていれば嬉しいです。
誤字は気になる?
どうも、ぱりゅりゅです。
皆さんは、SNSなどでの「誤字」は気になりますでしょうか。
僕は全く気にならないタイプで、伝わればOKという考えです。
そのため、基本的には誤字を見つけても自分の頭の中で修正して文章を読みます。
誤ったものを正しいと思い込んで使っている人がいた場合は教えてあげるのが良いと思いますが、多くの誤字は入力や漢字に変換する際にミスが起こってしまい、それに気づかずに送信してしまったというパターンだと思うので、それを挑発的に指摘したり、誤字だけを切り取ってその人を悪く言ったりしているのを見ると、何だかなぁと思ってしまいます。
ここまでの内容に共感してくださった方は多いのではないかと思うのですが、僕はこの「誤字」問題を著名人の発言にも置き換えられると考えています。
テレビの発言やSNSの投稿などで、良くなかったところや言葉の一部分だけを切り取って、その人を非難しているのを見かけることがあります。
しかし、実際の映像や他の投稿などを見てみると「そういう意味で言ってないけどなぁ」と思うこともあります。
そして毎回、非難の非難、非難の非難の非難、…と「いたちごっこ」になってしまい収拾がつかなくなっているように感じます。
小さなミスにいちいち噛みつくのではなく、広い視野で余裕を持って物事を眺められたらと思います。
I pray for peace.
「仕方ない」は応急処置
どうも、ぱりゅりゅです。
何か上手くいかなかったときに、「仕方ない」と言い聞かせて乗り越えたという経験はありますでしょうか。
失敗をしてしまった瞬間というのはショックが大きいですから、すぐに振り返って再発防止の対策を考えられる人は少ないと思います。
しかし、落ち込んでばかりいると他のことにまで悪い影響を及ぼしかねないので、切り換えるという意味で「仕方ない」と思い込ませることは必要かと思います。
ただ、「仕方ない」というのは応急処置であって問題が解決したわけではないので、少し時間が経って心が落ち着いた後に再び失敗と向き合い、同じことを繰り返してしまわないよう対策を立てることが大切だと思います。
「仕方ない」を上手く使いながら、失敗を成功への過程にできればと思っています。