ぱりゅりゅのブログ

素人の自己満足です

登った山の数だけ成長する

どうも、ぱりゅりゅです。

 

人間誰しも、生きていれば大小様々な困難にぶつかると思います。

今回はその困難を「山」に例えて僕の考えをお話ししようと思います。

 

登り切った先には絶景が待っている

実際の「山登り」は経験したことがないので想像ですが、きっと頂上にたどり着くのは非常に大変なことと思います。

 

しかし、登り切った人にしか味わえない頂からの景色の美しさというのは、言葉では表すことのできないものだろうと考えます。

 

人生においても、苦しい時期を乗り越えた先には必ず絶景が待っていると考え、少しずつ進んでいければと思います。

登るのが大変であれば大変であるほど、その先の景色は輝くと思うので。

 

苦しいと思うことの方が多いのは当たり前

山を例えに出したもう一つの理由として、「必ず登りから始まる」ということがあります。

山を越えようと思ったら、登り→山頂→下りとなるからです。

 

困難を乗り越え、山を下っている瞬間は経験した登りの数と下の数は等しくなっていますが、山を登っている瞬間は登りの方が多く経験していることになります。

 

すなわち、下りの数が登りの数を超えることはないのです。

 

人によって出遭う山の数や大小、登る技術などは違いますが、登りと下りの数は必ず同じはずです。

 

まとめ

生きていて、「しんどいなぁ」「大変だなぁ」と思う瞬間が多いのは当たり前。

しかし、そういった困難を乗り越えた先には素敵な景色が待っていると信じて、少しずつ頂を目指していくことが大切なのではないでしょうか。

ぱるるはYouTubeを始める前と後で本当に何も変わっていないのか

どうも、ぱりゅりゅです。

 

ぱるるーむを観ていると、よくぱるるが「YouTubeを始めて変わったと言われるが、私は何も変わっていない」というようなことを言っているのを耳にします。

そのことについて、今回は思うことを語っていきます。

 

無意識のうちに自分を変えている

多くの人が相手や周りの環境に応じて、無意識に自分を変化させているのだと思います。

 

これまでのメディアだと、ぱるるたち出演者は作品の一部となるため、番組側や視聴者などから求められるものを意識しながらになると思います。

 

しかし、YouTubeだと出演も企画もプロデュースも全て自らが中心となって行うことができるため、自分の本当にやりたいことだけに集中できているのだと思います。

 

テレビだからYouTubeだからと、意図的に変えてはいないと思いますが、YouTubeという媒体が自然とぱるるの良さを引き出してくれているのだと感じています。

 

周りの目が変わった

これまではAKB48の中の1人として見られていたわけなので、グループの方向性やアイドルのイメージなど、様々なものを通した後に「島崎遥香」という存在を見ていた人が多いのだと思います。

 

しかし、YouTubeだと何も通さずストレートに「島崎遥香」を見ることになるので、見る側からは何か変わったように映ったのだと思います。

 

また、番組側の方々も、YouTubeでのぱるるが世間に受けていることを目にし、ぱるるに求めるものが変化したように感じます。

 

YouTubeで発信したことが、世間やテレビの受けが良いと自信にもつながりますから、今のぱるるはどのメディアであっても輝いて見えます。

 

まとめ

ようやく時代がぱるるに追いついたな

2021年も推しの活躍に期待ですね!

努力は必ず報われるのか

どうも、ぱりゅりゅです。

 

「努力は必ず報われる」という言葉について、皆さんはどのようにお考えでしょうか?

 

結論から言いますと、「報われないこともある」と考えています。

努力をしたのに、求めていた結果が得られなかったという経験をしたことがある方も多いと思いますし、自分自身もあるからです。

 

しかし、ここで大切なのは結果を出している人は努力をしているということです。

 

努力→結果は成り立たないこともありますが、努力←結果はほぼ成り立つという考えです。

 

また、努力が報われる報われないではなく、努力をするという過程に意味があるという考えには賛成です。

 

求めていた結果が出なかったとしても、努力をしたからこそ得られたものは多くあると思いますし、今後の人生のどこかで必ず役に立つと考えているからです。

 

では、努力は必ず報われると唱える人々を否定しているのかと言われると、それは違います。

 

結果を求めるうえで、努力は必ず報われると信じて進むことこそが、「努力は必ず報われる」という言葉の真意なのだと思っています。

深夜のラーメン

どうも、ぱりゅりゅです。

 

皆さんは「深夜のラーメン」はお好きでしょうか。

ラーメンでなくとも、ついつい夜食を…という方は多いのではないでしょうか。

今回は、深夜のラーメンなどの夜食が特別美味しく感じる理由を考えていきたいと思います。

 

背徳感

夜遅くに食べるのは体に良くないという後ろめたさを感じながら食べることが、より美味しくなるためのスパイスになっているように思います。

 

今夜はルール撤廃!といった感じで、罪深き行動に心躍るんですよね。

 

夜という時間

夜という時間について、体に良くないという面に加え、もうこの後何もする必要がないという開放感が夜食の美味しさを引き立てている気がします。

 

「今日も頑張った、あとは好きな物食べて好きなことして寝よう」みたいな感じで。

 

麺というのがちょうど良い

ここまで読むと、深夜のお供がラーメンである必要はなく感じるかもしれませんが、夜食の中でもラーメンが推されているのは「麺」であることが重要だと思っています。

 

ご飯系だと重すぎますし、お菓子を摘むだけだとお腹はあまり満たされない。

 

さらに、お酒を飲んだ後の締めにも適しているという点もあげられると思います。

(自分は普段お酒を飲まないのでわかりませんが…笑)

 

たまにはいいんじゃない?

深夜のラーメン、美味しいけど体に悪いということは皆が承知の事実だと思いますが、個人的には「たま〜に」ならいいのかなと思っています。

日々のストレスが解消され、心が健康になるならばですが。

 

 

P.S. 今日のお昼ご飯はラーメンだったのですが、健康に気をつかったのではなく、このブログを書き終えたのがお昼前で、ラーメンが我慢できなくなったからです笑

人間関係であまりストレスを溜めなくなった

どうも、ぱりゅりゅです。

 

前回の記事で「怒りの感情」から「怒る」という言動にいたるまでの間で冷静に判断できるステップが大切であるというようなことを書きました。

 

しかし、それだと1度湧いた怒りの感情が収まったわけではないので、今回は表に出さなくとも怒りがストレスに変わらないようになった考えを紹介したいと思います。

 

結論から言いますと、自分の人間レベルが非常に高いと思い込むことです。

 

怒りの原因である相手や周囲よりも自分のほうが人間レベルが高い、だからここは争わず冷静に解決に努める、そういう自分が心に余裕があってカッコいいと考えるのです。

 

以前にどこかで聞いた「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」という言葉に深く納得し、それ以来は何度も救われてきました。

 

決して自分を過信すべきだというわけではありませんし、相手が悪い自分が正しいと考えるのが良いとも思いませんが、ストレスを溜めないようにするための考えとしては良いのではないかと思います。

怒りの感情はあるよ

どうも、ぱりゅりゅです。

 

僕は昔、すぐにブチギレる人でした。

親や祖母が心配して食生活から真剣に見直そうとしてくれたぐらいに。

 

でも、最近はようやくそれがなくなりました。

ここ数年で出会った人は子供の頃の僕を知らないので、全く怒らない僕に「感情あるの?」と聞いてきます。

 

怒らないのは感情が無だからではありません。もちろん「怒り」の感情はあります。

「ムカつくなぁ」と思うことはたくさんあります。

 

その「ムカつくなぁ」から「怒る」という行為にいたるまでには、もうワンステップあると思っています。

そこのステップで「感情に身を任せて怒ってもこの状況は解決しないな、良い方向に進まないな」と冷静に判断する自分がいるから、反射的にキレたりしなくなったのです。

 

怒りっぽい性格やすぐにキレてしまう自分に悩んでいるという方は、参考にしていただけると嬉しいです。

どれが本当の自分?

どうも、ぱりゅりゅです。

 

場所や相手によって、自分自身を使い分けているという方は多いのではないでしょうか。

 

僕は特別な意識をして使い分けているという感覚はありませんが、無意識のうちによそ行きモードになって気を張っていたり、リラックスモードになって気を緩めているなという感覚はあります。

 

様々な自分を使い分けていることで、「どれが本当の自分なんだろう」と思われている方もいるかもしれませんが、全部本当のあなただと思います。

 

経験を多く積むことで自分自身の引き出しが増え、無意識のうちに使い分けられているのだと考えています。

勇者が敵に応じて装備する武器を変えるように、人間も場所や相手によって使う引き出しを変えているのです。

 

ですから、「自分を見失っているのかも」などと深く考えず、その引き出し1つ1つに自身を持つということも必要なのではないでしょうか。